穏やか じゅんや

穏やかな暮らしを育むブログ。家族を大切にし、読書、手帳を使って自分を磨き、人生を楽しむ!

亡くなった大切な人の恩に報いるために、幸せに生きる

こんにちは。人生を楽しみたい「じゅんや」です。

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お彼岸でお墓参りに行ったとき、お寺からもらった冊子に印象に残ることが書いてあったので、紹介します。
幸せに生きるということについて、いろいろ考えてしまいました。

 

静岡県 碧雲寺 副住職 石上 博龍 さんが書かれた内容です。

静岡県富士市 永代供養10万~・樹木葬15万 | 碧雲寺

「報恩」

以前、こんな話を耳にしました。
余命宣告を受けた父親が、皆に言っておくことがあると、病院のベッドに家族を呼び寄せました。布団の上で、家族の手をぐっと握りしめながら、静かにこう言ったそうです。

「皆、仲良く」。

自分の命が残りわずかだと知って託した願い。
それは家族が、仲良く、幸せであってほしいという切なる想いでした。

こういった話を聞くにつけ、亡くなった方の願いというのは、これから先を生きていく人たちの幸せなのだと、実感します。

私たちが過ごしているこの二十四時間は、亡くなった方がどんなに望んでもたどり着けなかった二十四時間です。その貴重な時間を、今、あなたは生きています。

バトンタッチされたその願いに、私という命は、応えているだろうか?

亡き人を身近に感じ、この場にいたら喜んでくれるような生き方をする。
大切な人が、願っていた生き方がある。
その想いにこたえて生きる。報恩の、一つの答えです。

(報恩とは、恩に報いる。平たくいうと、ご恩返しに近い。)

 

これを読み、「自分の肉親であれば」確かにその通りだと思いました。
僕は両親を亡くしていますが、きっと僕が幸せに生きていくことを望み、喜んでくれると感じられます。

 

でも、僕が生きていることに罪悪感を感じてしまうこともあります。

それは、幼なじみや、会社の同僚を亡くした時です。
幼なじみは、白血病でした。成人になる前に亡くなりました。
僕だけ大人になって、彼は大人になれなかった。
彼も、彼の家族も悔しい思いをしていると思います。


会社の同僚は、僕と同じくらいの年の子供がいます。
生前は、家族で楽しそうに過ごしている写真の載った年賀状を送ってくれました。
でも、今はその幸せな時間を過ごせない。

何だか、僕だけ幸せに生きていることに申し訳なさを感じてしまう。
彼らと彼らの家族は、僕を恨めしく思っているのでは?

たぶん、そんな気持ち、少しくらいはあると思います。
一方で、先ほどの住職のお話のように、仲良くしてくれた人たちが、幸せに生きていることを願ってくれる気持ちもあるのかな、と思います。

きっと、生前に仲良く付き合ってくれた彼らだから、僕が幸せに暮らしていることを願ってくれる気持ちの方が強いはずです。

 

僕と関わりのなかった人だと、僕が幸せに生きていることを恨む人もいるかもしれない。
もし、そんな人がいるとしたら、冷たいようだけれど、僕の幸せを願っていないような人のことを気にして生きる必要はないと考えたい。
だって、そんな人のことを気にしていたら、僕を大切に思ってくれている人に対して申し訳ない。僕を大切に思ってくれている人の思いを優先したい。

 

僕を大事に、一生懸命に育ててくれた両親の恩に報いるためにも、人生を有意義に、楽しく幸せに生きていきたいと、改めて感じました。